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あの日見た花の名前を私は知りたい。

1.あの花の名前

 テレビ放送から五年を経て、ようやくアニメ「あの花」を観るに至った。テレビ放送版と劇場版を視聴して、私はあの花の名前を知りたくなった。検索窓に「あの花 名前」とでも入力すれば、すぐに答えは見つかることだろう。しかし私は敢えてそれを避けることにした。この「知りたい」という欲求を安易に満たしてしまうのは、もったいない気がした。そのようなわけで、私はインターネットに頼らずあの花の名前を調べることにした。

 

 調べるにあたって、まずはあの花がどんな花なのかを知る必要がある。作中に花が登場する場面はいくつかあるが、まさにあの花の正体について言及しているのは、テレビ放送版最終話の終盤である。ここではじんたんの次のようなモノローグが流れる。

 

俺たちは 大人になっていく

どんどん通り過ぎる季節に

道端に咲く花も 移り変わっていく

あの季節に咲いた花は 何て名前だったんだろう?

小さく揺れて 触れればちくりと痛くて

鼻を近づければ わずかに青い ひなたの香りがした

 

 モノローグの最中には青い花を描いたカットが出てくる。登場するタイミングからみて、これがあの花である可能性が高い。


 これに似た花は劇場版にも出てくる。その場面では、ぽっぽが「あの日」のことについて、以下のように回想する。

 

めんま ずっとずっと ごめんな

俺さ あんなかにずっと

花を入れてたんだ

お前があの日 いっちまった場所に

咲いてた花

俺 恐くて ただ おっかなくて

なんも できなかった

なんつうか

あれを身につけてることが

自分への罰だって

考えてたんだよなあ 俺 

 

 「お前があの日 いっちまった場所に 咲いてた花」というから、物語への関与は深い。これもあの花とみなしてよいだろう。

 

 あの花がどんな花であるかは確認した。ということで次は、先の情報を頼りにして花の名前を突き止める段になる。もし私が草花について十分な知識を持ち合わせていたならば、どのような花であるかを特定した段階で、答えに辿り着いていたかもしれない。しかし私は草花のことをほとんど知らないのであった。そこで試みに、植物図鑑や写真集を開いてみることにした。日本で見られる植物に限っても、その種類は数千にも上るという。しかも私は、あの花が何科に属するのかさえわかっていない。花の様子からすると、キクやユリの仲間ではなさそうだ、くらいのことは推量できる。しかし、この程度の限定では、結局は図鑑を端から眺めていくことになってしまう。


 ところで、「あの花」の舞台は埼玉県秩父市らしい。作中にも「秩父」の名が何度が映りこんでいる。ということで、特に秩父の植物を取り上げている本を探すことにした。そうして何冊かをめくっているうち、似たような花が見つかった。ムラサキ科の、ヤマルリソウという花らしい。花の色や形は、たしかに似ている。ただ、これに違いないと断定する自信は得られなかった。それで今度はムラサキ科の他の植物を図鑑で探してみた。すると一つ、見覚えのある名前が見つかった。その名を、ワスレナグサという。イラストを見ると、多少の相違こそあれ、作中の青い花の絵とよく似ている。 私はきっとこれに違いないと思った。ワスレナグサというのは、いかにも伝承のありそうな名前だからである。この時点で、あの花の正体はワスレナグサでほぼ間違いなかろうと判断した。


 続いて私は、ワスレナグサにまつわる伝承を調べることにした。これは植物図鑑よりも百科事典に詳しく書かれてあることだろう。そこで平凡社大百科事典を開いてみると、こうある。

 

湿地や川辺に咲く可憐なワスレナグサは愛と誠のシンボルとして昔から多くの民謡や詩に歌われてきた.〈忘れな草〉(英語 forget-me-not, ドイツ語Vergissmeinnichtなど)という名の由来を説明する伝説もいくつかあるが,以下はその一つ.ドナウの川辺で若者が恋人のため珍しい花を摘みとったとたんに足をすべらし,川に落ち急流に流され,いまわの際に〈僕のことを忘れないで〉といった.残された少女は,若者の墓にその花を植え,彼の最期の言葉を花の名にしたという.

 

 作中において、めんまの死はしばしば、川辺に浮かぶサンダルの映像によって象徴的に表現されている。また第四話では、ゆきあつの見たという「めんま」を捜して山中を巡っていた折、あなるが足を滑らせたところをじんたんが手を掴んで助け、そして「ふざけろよ、馬鹿だろ、お前……」「これで、こんなんで、お前まで、めんまみたいに……」と漏らす。そこは小高いところで、すぐ下には川が流れていた。さらに、最終話でぽっぽがめんまの最期を見たと告白した際、彼は「離れない……目の前でどんどんいっちまう、遠くなっちまうめんまが、離れないんだよお!」と泣き叫んだ。 これらの描写を踏まえると、めんまの死は先の若者の最期と通じるところがある。やはり、あの花の正体はワスレナグサとみてよさそうである。

 

 

 

2.僕達が知らなかったこと

 あの花の名前は明らかになった。それでは、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」という作品名は、何を言わんとしているのか。


 今見たように、「あの日見た花の名前」とは、直接にはワスレナグサを指すのだろう。そしてワスレナグサは、めんま(の死)を象徴していると考えられる。これも先に触れたが、ワスレナグサという名は、〈僕のことを忘れないで〉という若者の願いから付いたとされる。そうしてめんまも、同様のことを訴えている。第四話で、ゆきあつが「めんまが、俺の前に現れたとき、言ってた。『これ以上騒ぎ立てないでくれ』って」と嘘をついたとき、めんまは「みんなが集まってくれて、みんながめんまのこと思い出してくれて、その方が、ずっとずっとうれしいよ?」と反論した。しかしじんたん以外には見えないでいためんまの声は届かず、ぽっぽも「ま、まぁ、めんま、そういうなら、やめたほうがいいんかな……」とゆきあつの話に同調しかけた。じんたんは堪りかねて「めんまは言ってる。みんなが集まってくれたらうれしいって。忘れないでいてくれたらうれしいって、そう言ってる」と代弁するが、ゆきあつに「その辺でやめとけよ」と警告される。このとき、少なくともじんたんを除く四人はめんまの本心を知らないでいたし、またじんたんも、めんまがこのように訴えるまでは知らなかったはずである。つまり、作品名は、「めんまの〈忘れないで〉という願いを、僕達、超平和バスターズの五人はまだ知らなかった」という意味に解釈できる。ただし、「僕達」のことは五人に限定せず、もっと広く「めんまの死後とりのこされた人々」とした方が、より作品内容を反映することとなってよいかもしれない。というのも、めんまの遺族にしても、母・イレーヌを除いては、めんまの願いに背く態度をとっていたからである。第一話で弟の聡志は、カレーを仏前に供えるイレーヌに向かって「やめろよ、いつまでも」と言い、また第九話において父・学は、花火作りの許可を得るべくやってきたゆきあつとつるこに対して、「あいつ(イレーヌ)はまだ過去に生きている。芽衣子がああなってしまって、それから時間が少しも動いていない。あいつを今に引き戻したい。そのためにも、これ以上思い出させたくないんだ」と語った。実際、めんまのことを思い出させないようにと、めんまの部屋を綺麗に片付けてもいた。もちろん彼らも、彼らなりに思うところがあってそのように振る舞っていた。しかしそれは、めんまの願うところではなかった。


 ところで願いというと、そもそもめんまは、願いを叶えてほしいということでじんたんの元に現れた。しかもそれは、「みんなじゃなきゃ叶えられないお願い」だという。そうして物語は、めんまの願いとは何であるかを考え、それを実行するべく進んでいく。最終的に明らかになっためんまの本当の願いとは、じんたんの母・塔子に約束した「じんたん絶対泣かす」というものであった。塔子はめんまに、次のようなことを語っている。

 

「ただね、一つだけ、仁太は泣かないの。たぶん私がこうなっちゃったから、ずっと気を張ってるんだと思う。生まれ変わりは楽しみだけど、それだけが気がかりで。いっぱい我慢させちゃって、本当はもっと笑ったり、怒ったり、泣いたり、してほしかったな」

 

 塔子の言葉を踏まえると、「じんたん絶対泣かす」という願いは、喜怒哀楽の感情を表に出してほしい、素直な気持ちを抑えつけないでほしい、というのがより正確なところといえそうである。めんまが現れてからのじんたんは、願いの通り、色々な感情を出すことになった。レアノケモンをゲットしたときにはあなる、ぽっぽと一緒に喜んだ。めんまが自分のことを母に思い出させたくないと言ったときには、「もっと自分のことを考えろよ」と怒り、また、もしめんまの願いが叶えばめんまは消えてしまうだろうと考えたら、涙がこぼれた。そして、この願いは直接にはじんたんに向けられたものであったが、めんまの死後とりのこされた他の人たちにも通じる問題であった。この問題は、特にゆきあつとぽっぽにおいて著しい。ゆきあつとぽっぽは、その趣こそ大いに異なるが、「普通ではない」行動をとった点では共通している。ゆきあつは自らめんまに女装し、ぽっぽは高校に行かず世界中を旅して回った。彼らの「奇行」は、めんまの死に対する己の感情を素直に表出しようとせず、どうにか別の手段で解決しようともがいた結果、引き起こされたものと考えられる。


 めんまの願いについて、もう一つ触れておくべき内容がある。最終話終盤におけるじんたんのモノローグ、先の引用箇所の後は、このように続く。

 

次第に あの香りは薄れていく

俺たちは 大人になっていく

だけど

あの花は きっとどこかに咲き続けてる

そうだ 俺たちは いつまでも

あの花の願いを 叶え続けてく

 

 「いつまでも あの花の願いを」の辺りで、映像の方は、秘密基地内の木組みに書かれた「超平和バスターズはずっとなかよし」の一句を大写しにする。これに関しては劇場版において、よりはっきりと触れられている。お焚き上げの時間を待つ間に五人がかくれんぼをする場面、秘密基地のロフトのような場所に隠れたじんたんは、「超平和バスターズはずっとなかよし」と書かれた部分を見つめながら、一緒に隠れていたあなるにこうつぶやいた。

 

「きっと、これなんだよなあ。俺のかあちゃんの頼みじゃなくて、めんまだけの、めんまのお願いってさ」

 

 めんまが死んでから疎遠になっていた五人の関係は、物語が始まった頃にはぎすぎすしていた。じんたんのところに夏休みの宿題を届けに来たあなる然り、あなるが忘れ物のノートを渡そうと追いかけてきたときのつるこの態度然り、ゆきあつのじんたんに対する苛立ちは言うまでもなかろう。そして彼らは相手をあだ名で呼びそうになると、一瞬声を詰まらせて名字で呼び直していた。ところが、めんまの願いについて模索するなかで曲がりなりにも五人の集まる機会は増えていき、やがて皆で協力して花火を作り上げ、最後にはかつてのあだ名が自然と出てくるようになった。めんまの死によって散り散りになった五人は、死んだめんまによって再び一緒になったのである。

 

 めんまの願いについて、三つを見てきた。考えてみると、これらの願いは、めんまの死を正しく受け容れて乗り越えるために必要なことであった。一つ目の「忘れないで」とは、「無理に忘れようとせず、きちんと向き合うこと」、二つ目の「泣かす」は、「心に感じたものを抑えつけないこと」、そして三つ目の「ずっとなかよし」は、「一人で苦しまず、互いの苦しみを分かち合うこと」を意味すると考えられる。これらのことを端的に表現しているのが、第十話における本間学の台詞である。彼はいう、「寂しかったな、聡志も、お前も。芽衣子を忘れられるはずなんてない。それでいいんだ。ただ、一緒に寂しいと思おう? お前と、聡志と、俺と。三人で、一緒に」と。そしてめんまの願いを必要としていたのは、無論、じんたんばかりではない。じんたんが思ったように、「あなるは自分を責め続けて、ゆきあつも、きっとつるこも、ぽっぽだって、みんな、罪悪感の中で救われずに」いたのだから。


 ここでトラウマの克服について、ある一つの場面に触れておく。物語の中ではめんまは実際に「見えて」いたが、象徴という意味では、やはり彼女はじんたんが当初考えたように《トラウマが具現化した幻想》である。このトラウマを如何にして「成仏」させるか。じんたんは目下の問題であった不登校を改善することにした。しかしこれは、トラウマの核心を突くものではない。じんたんが何より悔やんでいたのは、めんまに対して「誰がこんなブス!」と暴言を吐いて逃げ出したことだった。そうしてじんたんは、図らずも、それを「やり直す」機会を得る。花火を打ち上げる前日、六人は決起集会という名目で秘密基地に集合した。そこでゆきあつの提案から半ば強引に「あの日」を再現することになる。あなるが「じんたんってさ、めんまのこと、好き、なんでしょ?」と訊ね、ゆきあつが「言えよ」と促す。ぽっぽは「いーえ……、いーえ……」とはやし立てる真似をする。つるこは「ちょっとこんな、そこまでやるなんて」と咎めるが、皮肉にもこれは「もう、やめなよ」と言った当時をなぞっている。やがてじんたんは「好きだ。俺は、めんまが……!」とつぶやいて秘密基地を走り去ろうとするが、それをぽっぽが引き留める。「そこで逃げたら、同じことになるぞ、じんたん!」と。ここでじんたんを引き留めた意味は大きい。実際の「あの日」においては逃げるじんたんを追いかけてめんまが秘密基地を飛び出して行ったために、彼女は山中で足を滑らせて帰らぬ人となってしまった。じんたんが秘密基地から逃げないことは、めんまが死なないストーリーを演じることになる。この場面は、過去のトラウマの状況を再現し、それを演じることによって苦しみを癒そうとする、ドラマ療法を思わせる。


 さて、めんまが成仏したのは、花火を打ち上げた直後ではなく、かくれんぼで五人が見つけたときだった。この間、五人は神社に集まり、めんまが成仏しなかったことについて話し合った。次第に感情は高ぶっていき、あなる、ゆきあつ、つるこ、ぽっぽが自身の本音をぶちまけた。四人は自分のためにめんまを成仏させようとしていた。じんたんはというと、めんまが自分だけに見えることがうれしくて、「成仏なんてしなけりゃいい」と思っていた。要するに五人は、めんまのことではなく、自分のことを第一に思っていた。五人はこのエゴイズムを反省し、今度こそ本当にめんまのためにやろうと決心する。ところが、じんたんがめんまを秘密基地に連れていくと、とうとうじんたんにもめんまの姿が見えなくなる。そうしてかくれんぼが始まった。夜通し駆け回り、五人はめんまからの手紙とともに、ついにめんまを見つけた。このとき五人は、自分たちの気持ちを素直に吐き出し(「泣かす」)、「めんまの願い、ちゃんと叶えよう」と決意し(「忘れないで」)、「私たち六人で超平和バスターズなんだ」と気持ちを一つにしていた(「ずっとなかよし」)。かくしてめんまの三つの願いは叶えられた。だからこそめんまは五人に見つかり、そして彼女は成仏したのである。

 

 私はあの花の名前を探し求めた。あの花とは、めんまの願いであった。そしてめんまの願いは、現実に生きる人が深い悲しみを味わったとき、道を照らしてくれるものと思う。