太平洋と大西洋の表記の違いについて

【まえがき】
太平洋と大西洋の「タイ」の漢字はどうして違うのか。
中学生当時通っていた塾でこのような質問が上がった。
講師は、それは将棋の王将と玉将のように区別をつけるためだというようなことを言った。
「答え」を知っていた私はそれが咄嗟の思いつきであるとわかったが、むしろ即座に似た例を引き出せる機転を羨ましく思った。
それはさておき、今回の調査は、知識の習得というよりは、論理の道筋を確かに辿っていく手習いの、初歩としての試みというのが、当初の主たる動機である。
その顛末を、以下で整理していく。


【調査の流れ】
まずは図書館の参考図書にあたることにした。
日本国語大辞典 第二版』で「太平洋」と「大西洋」それぞれの項目を探す。「太平洋」についてはすぐに語源の解説が見つかった。

 

マゼランが、最初の横断航海が平穏であったところから、平和な海(Mare Pacificum)と名づけたことによる


同辞典で「太平」を引くと

世の中がおだやかに治まっていること。世の中が静かで平和なこと。また、そのさま。


と説明されており、「太平洋」が「太平」+「洋(海)」という形で成り立っていることがわかる。

一方、「大西洋」の方は

原名のAtlantic Oceanは、古代ギリシアで世界の西端にあって天空を支えると考えられた巨人アトラスに由来する

とある。つまり、Atlantic Oceanを原意に従って訳すならば「アトラスの海」となり、「大西洋」とは直接対応していないと推察される。
ここで中学生の私が知っていた「答え」を先に書いてしまうと、大西洋は「大(大きな)」+「西洋(西の海)」という成り立ちであるから「大」なのであった。しかし、語の成り立ちをはっきり示している資料はなかなか見つけ出せなかった。

語源とは、ごく単純に言ってしまえば、もっとも古い用例である。ならば、より古い例を探していけば目的を達するのではないか。私は語意の解説の後ろに付された用例に目を通した。そこに記された最古の例の出典は『采覧異言』という書物であった。
『采覧異言』の記事を辞典から探し出す。書名は初めて見るものであったが、すべて音読みと考え「サイランイゲン」で当たりをつけたところ、的中した。これは江戸中期の儒学者・政治家である新井白石が著し正徳三年(1713)年に成立した地誌で、江戸在留の外国人への聞き取りやマテオ・リッチの「坤輿万国全図」などを参考に、世界各地の地域の特色をまとめた書物らしい。
マテオ・リッチと「坤輿万国全図」の名には覚えがある。といっても本当に名前くらいしか記憶が残っていなかったため、改めて概要を確認する。マテオ・リッチは十六、七世紀に生きたイタリア人のイエズス会宣教師で、明(現在の中国)に布教活動のため入った。彼は布教とともに西欧文化の紹介にも尽力し、その一環として1602年に北京で刊行されたのが「坤輿万国全図」という世界地図であった。この地図は中国側への配慮から地図の中心を中国としたことや地域名などが漢字によって示された点で画期的であり、日本の世界理解にも大きな影響を与えたという。
 
参考図書による時代の遡行はここで立ち往生となった。今度は「マテオ・リッチ 大西洋」というキーワードでインターネット検索をかけてみる。すると、「大西洋」の語源について、私の知る「答え」とは異なる説があるらしいとわかった。すなわち、「大」は単に「大きい(広い)」を意味するのではなく、「(距離が)遠い」という意味であるとする説である。「坤輿万国全図」では「大西洋」「小西洋」「大東洋」「小東洋」という四つの海名が中国を起点として東西、遠近を表しているという。文字で表すならば「大西洋―小西洋―中国―小東洋―大東洋」といった具合である。そして、そのような旨を述べた学術論文が以下のサイトにてPDFファイルで公開されている。
 
 
張鈴「orient、東洋(とうよう)と東方(ドンファン) ―orientという語の訳語から日中両国の自己のあり方を探る―」の2ページにおいて、マテオ・リッチが「中国語にすでにある「西洋」、「東洋」の語彙を、Oceanus Occidentalis(西の大洋)とOceanus Orientalis(東の大洋)というラテン語の訳語に使い、「小」(近い)、「大」(遠い)と組み合わせ、彼の所有する地図を中国語に翻訳した」と説明されている。
原文では「ラテン語の訳語に使い」の直後に脚注を表す数字が付されており、参考文献として陳瑋芬「自我的客体化――近代日本的「東洋」論及隠匿其中的「西洋」与「支那」」という中国語で書かれたらしい論文が挙げられている。掲載元の媒体名であろう『中国文哲研究集刊』で検索すると、こちらもPDFファイルで公開されていることがわかった。
 
 
中国語のテキストを読みこなすだけの知識は持ち合わせていないが、脚注に示されたページ番号と「大西洋」「大東洋」といった語から、参考にされたであろう箇所は察しがついた。
さて、当該箇所付近に付された脚注を見やると、日本語の書籍や論文が複数並んでいることに気づく。その脚注を参考に、椙村大彬『地理名称の表現序説』(古今書院、1978)と齋藤毅『明治のことば 東から西への架け橋』(講談社、1977)の二冊について、近所の図書館で借りることにした。
 
まず前者においては147ページから149ページにかけて「小東洋」ならびに「小西洋」にかかわる記述があり大小が距離の遠近を表すことにも言及されているが、詳しい解説は見当たらない。この本についてはこれ以上立ち入らないことにした。
 
つづいて後者を読む。「第二章 東洋と西洋」で、まさに求めていたことが述べられていた。少々長くなるが以下に引用する。尚、引用文冒頭の「彼」はマテオ・リッチのことを指す。また、原文において傍点の付されている箇所には下線を施した。
 
 彼が、アトランティス海を「大西洋」と称えたのは、ポルトガル海の古名であったOceanus Occidentalisから無意識の影響を受けたとも考えられるが、あくまでも、それの直訳とみるべきではなく、むしろ、中国人が古くから抱いていた「西洋」という概念の拡大によってつくりだしたものとみるべきであろう(注八)。後世のものではあるが、『辞源』は、「泰西」の語釈として、マテオ・リッチとの関連を、つぎのように述べている。
 
泰西。歐洲各國を指していう。按ずるに、我國(筆者注=中国)向來、玉門以西をもって西域といい、南海以西をもって西洋という。これ中亞細亞および印度洋一帶の地に過ぎず。歐洲諸國のごときは、さらにこの諸地の西に在り。故に明のとき利瑪竇來朝し、みずから大西洋人と稱し、もって當時のいわゆる西洋(すなわち印度洋一帯)と別つ。士大夫よって歐洲を稱して泰西と爲し、その極西の處たるを明らかにするなり。(原漢文)
 
 マテオ・リッチが、みずから「大西洋人」と称したとき、その「大」が何を意味したかは、右の解釈で明白である。漢語では、「大」は「太」または「泰」に通じ、極・遠・甚を意味することばである。明代の中国人が、インド洋およびその一帯の地(ペルシア湾沿岸)を称して「西洋」とよんだとき、ヨーロッパをどう呼べばよかったか。マテオ・リッチは、それがインド洋やペルシア湾沿岸よりはさらに遠くの西洋であるところから、これを遠西・極西・泰西であるとなし、「大西洋」とよび、これと区別するために、従来からの西洋――つまり印度・ペルシア沿岸――のほうは、近くの西洋という意味で、「小西洋」と名づけたのであろう。そして、アトランティス海を、中国人の理解に近づけるために、中国流にこれを、「大西洋」と命名したのである。ほん訳というよりは、別名を与えたのである。(p.52-53)
 
また、森島中良『紅毛雑話』中の記述に対して次のように指摘する。
 
(注十三)「此海を過ては、針路を西南の間に取り、伊斯巴儞亜海に出づ、其海上に在るところ、西をヲセアーノスヲクシデンターリスといふ、訳して大西洋といふ」とある。この「大西洋」は、中国流の呼称というよりは、ラテン語からの直訳のようにみえるが、もしそうだとすれば単純に「西洋」または「西海」と訳すべきであって、「西洋」とある以上、やはりマテオ・リッチ流の中国訳とみるべきであろう。(p.70)
 
大西洋の語源については、上記の説を一応の結論とすることにした。雑学を紹介するWEBページなどではOceanus Occidentalisを訳したものとも「泰西(ヨーロッパを指す語)」+「洋(海)」の合成であるとも説明されているが、『明治のことば』の解説はそれら諸説をまとめあげている点で有力であると感じた。
 
 
【あとがき】
『明治のことば』にはこのようなことも書かれている。
 
そして、今日のわれわれの感触からいえば、「大西洋」というのは、極西の海洋でもなければ遠西の海洋でもなく、たんに大きい西方の海洋といった意味にしか受けとられなくなっている。(p.66)
 
今回調べてみるまで、たしかに私も「大きい西方の海洋」という理解を疑うことはなかった。その「もっともらしい説明」とは異なる解釈がひらけたことは、今回の調査の大きな成果と言える。
一方、大西洋の調査に多くの時間を割いたことでアンバランスな内容になってしまったことは否めない。だが、調査を開始してから既に結構な月日が経っておりこれ以上深入りするのは避けたいということ、太平洋と大西洋の語源について両者とも一応の典拠を見いだせたことなどを勘案し、上記の調査結果までで切り上げることにした。
ちなみに、太平洋の語源について「マテオ・リッチが漢訳した」と説明する辞典もあるが、彼は「坤輿万国全図」においてMare Pacificumに相当する海名として「寧海」の語を用いている。いずれにせよ太平洋という言葉がマゼランの世界周航に由来することはほぼ間違いないようであるから、これ以上は立ち入らない。
 
調査の経緯について。足踏みの状態に陥ってからブレイクスルーに至るまで手間取ることが多かった。また参考図書にこだわるあまり、個別の資料になかなか辿り着けなかった。参考図書で一通りキーワードを拾ったらインターネットで検索し、そこで得た情報から新たな資料を参照する、というサイクルをこまめに回すよう意識していれば、もう少し調査時間を短縮できたかもしれない。
今一つにはキーワードの選択も重要である。今回であれば「東洋と西洋」という観点に気づいていれば、大西洋の調査はずっと早く進んだことだろう。その代わり「マテオ・リッチ 大西洋」という検索ワードの設定が転換点となった。「大西洋 由来」「大西洋 語源」といったストレートな組み合わせからは、小西洋などに言及したWEBページには至らなかった。
調査の中で、マテオ・リッチがその世界図を描くにあたって参照したというオルテリウスの「世界の舞台」などについても調べてみたが、その過程は調査の目的に対しては不毛であった。ただ、インターネット上で古地図を閲覧できるサイトが存外多くあると知ることができたのは、ともすれば収穫なのかもしれない。ちなみに、「坤輿万国全図」に関しては以下のデータベースで閲覧できる。
 

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