読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あの日見た花の名前を私は知りたい。

1.あの花の名前

 テレビ放送から五年を経て、ようやくアニメ「あの花」を観るに至った。テレビ放送版と劇場版を視聴して、私はあの花の名前を知りたくなった。検索窓に「あの花 名前」とでも入力すれば、すぐに答えは見つかることだろう。しかし私は敢えてそれを避けることにした。この「知りたい」という欲求を安易に満たしてしまうのは、もったいない気がした。そのようなわけで、私はインターネットに頼らずあの花の名前を調べることにした。

 

 調べるにあたって、まずはあの花がどんな花なのかを知る必要がある。作中に花が登場する場面はいくつかあるが、まさにあの花の正体について言及しているのは、テレビ放送版最終話の終盤である。ここではじんたんの次のようなモノローグが流れる。

 

俺たちは 大人になっていく

どんどん通り過ぎる季節に

道端に咲く花も 移り変わっていく

あの季節に咲いた花は 何て名前だったんだろう?

小さく揺れて 触れればちくりと痛くて

鼻を近づければ わずかに青い ひなたの香りがした

 

 モノローグの最中には青い花を描いたカットが出てくる。登場するタイミングからみて、これがあの花である可能性が高い。


 これに似た花は劇場版にも出てくる。その場面では、ぽっぽが「あの日」のことについて、以下のように回想する。

 

めんま ずっとずっと ごめんな

俺さ あんなかにずっと

花を入れてたんだ

お前があの日 いっちまった場所に

咲いてた花

俺 恐くて ただ おっかなくて

なんも できなかった

なんつうか

あれを身につけてることが

自分への罰だって

考えてたんだよなあ 俺 

 

 「お前があの日 いっちまった場所に 咲いてた花」というから、物語への関与は深い。これもあの花とみなしてよいだろう。

 

 あの花がどんな花であるかは確認した。ということで次は、先の情報を頼りにして花の名前を突き止める段になる。もし私が草花について十分な知識を持ち合わせていたならば、どのような花であるかを特定した段階で、答えに辿り着いていたかもしれない。しかし私は草花のことをほとんど知らないのであった。そこで試みに、植物図鑑や写真集を開いてみることにした。日本で見られる植物に限っても、その種類は数千にも上るという。しかも私は、あの花が何科に属するのかさえわかっていない。花の様子からすると、キクやユリの仲間ではなさそうだ、くらいのことは推量できる。しかし、この程度の限定では、結局は図鑑を端から眺めていくことになってしまう。


 ところで、「あの花」の舞台は埼玉県秩父市らしい。作中にも「秩父」の名が何度が映りこんでいる。ということで、特に秩父の植物を取り上げている本を探すことにした。そうして何冊かをめくっているうち、似たような花が見つかった。ムラサキ科の、ヤマルリソウという花らしい。花の色や形は、たしかに似ている。ただ、これに違いないと断定する自信は得られなかった。それで今度はムラサキ科の他の植物を図鑑で探してみた。すると一つ、見覚えのある名前が見つかった。その名を、ワスレナグサという。イラストを見ると、多少の相違こそあれ、作中の青い花の絵とよく似ている。 私はきっとこれに違いないと思った。ワスレナグサというのは、いかにも伝承のありそうな名前だからである。この時点で、あの花の正体はワスレナグサでほぼ間違いなかろうと判断した。


 続いて私は、ワスレナグサにまつわる伝承を調べることにした。これは植物図鑑よりも百科事典に詳しく書かれてあることだろう。そこで平凡社大百科事典を開いてみると、こうある。

 

湿地や川辺に咲く可憐なワスレナグサは愛と誠のシンボルとして昔から多くの民謡や詩に歌われてきた.〈忘れな草〉(英語 forget-me-not, ドイツ語Vergissmeinnichtなど)という名の由来を説明する伝説もいくつかあるが,以下はその一つ.ドナウの川辺で若者が恋人のため珍しい花を摘みとったとたんに足をすべらし,川に落ち急流に流され,いまわの際に〈僕のことを忘れないで〉といった.残された少女は,若者の墓にその花を植え,彼の最期の言葉を花の名にしたという.

 

 作中において、めんまの死はしばしば、川辺に浮かぶサンダルの映像によって象徴的に表現されている。また第四話では、ゆきあつの見たという「めんま」を捜して山中を巡っていた折、あなるが足を滑らせたところをじんたんが手を掴んで助け、そして「ふざけろよ、馬鹿だろ、お前……」「これで、こんなんで、お前まで、めんまみたいに……」と漏らす。そこは小高いところで、すぐ下には川が流れていた。さらに、最終話でぽっぽがめんまの最期を見たと告白した際、彼は「離れない……目の前でどんどんいっちまう、遠くなっちまうめんまが、離れないんだよお!」と泣き叫んだ。 これらの描写を踏まえると、めんまの死は先の若者の最期と通じるところがある。やはり、あの花の正体はワスレナグサとみてよさそうである。

 

 

 

2.僕達が知らなかったこと

 あの花の名前は明らかになった。それでは、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」という作品名は、何を言わんとしているのか。


 今見たように、「あの日見た花の名前」とは、直接にはワスレナグサを指すのだろう。そしてワスレナグサは、めんま(の死)を象徴していると考えられる。これも先に触れたが、ワスレナグサという名は、〈僕のことを忘れないで〉という若者の願いから付いたとされる。そうしてめんまも、同様のことを訴えている。第四話で、ゆきあつが「めんまが、俺の前に現れたとき、言ってた。『これ以上騒ぎ立てないでくれ』って」と嘘をついたとき、めんまは「みんなが集まってくれて、みんながめんまのこと思い出してくれて、その方が、ずっとずっとうれしいよ?」と反論した。しかしじんたん以外には見えないでいためんまの声は届かず、ぽっぽも「ま、まぁ、めんま、そういうなら、やめたほうがいいんかな……」とゆきあつの話に同調しかけた。じんたんは堪りかねて「めんまは言ってる。みんなが集まってくれたらうれしいって。忘れないでいてくれたらうれしいって、そう言ってる」と代弁するが、ゆきあつに「その辺でやめとけよ」と警告される。このとき、少なくともじんたんを除く四人はめんまの本心を知らないでいたし、またじんたんも、めんまがこのように訴えるまでは知らなかったはずである。つまり、作品名は、「めんまの〈忘れないで〉という願いを、僕達、超平和バスターズの五人はまだ知らなかった」という意味に解釈できる。ただし、「僕達」のことは五人に限定せず、もっと広く「めんまの死後とりのこされた人々」とした方が、より作品内容を反映することとなってよいかもしれない。というのも、めんまの遺族にしても、母・イレーヌを除いては、めんまの願いに背く態度をとっていたからである。第一話で弟の聡志は、カレーを仏前に供えるイレーヌに向かって「やめろよ、いつまでも」と言い、また第九話において父・学は、花火作りの許可を得るべくやってきたゆきあつとつるこに対して、「あいつ(イレーヌ)はまだ過去に生きている。芽衣子がああなってしまって、それから時間が少しも動いていない。あいつを今に引き戻したい。そのためにも、これ以上思い出させたくないんだ」と語った。実際、めんまのことを思い出させないようにと、めんまの部屋を綺麗に片付けてもいた。もちろん彼らも、彼らなりに思うところがあってそのように振る舞っていた。しかしそれは、めんまの願うところではなかった。


 ところで願いというと、そもそもめんまは、願いを叶えてほしいということでじんたんの元に現れた。しかもそれは、「みんなじゃなきゃ叶えられないお願い」だという。そうして物語は、めんまの願いとは何であるかを考え、それを実行するべく進んでいく。最終的に明らかになっためんまの本当の願いとは、じんたんの母・塔子に約束した「じんたん絶対泣かす」というものであった。塔子はめんまに、次のようなことを語っている。

 

「ただね、一つだけ、仁太は泣かないの。たぶん私がこうなっちゃったから、ずっと気を張ってるんだと思う。生まれ変わりは楽しみだけど、それだけが気がかりで。いっぱい我慢させちゃって、本当はもっと笑ったり、怒ったり、泣いたり、してほしかったな」

 

 塔子の言葉を踏まえると、「じんたん絶対泣かす」という願いは、喜怒哀楽の感情を表に出してほしい、素直な気持ちを抑えつけないでほしい、というのがより正確なところといえそうである。めんまが現れてからのじんたんは、願いの通り、色々な感情を出すことになった。レアノケモンをゲットしたときにはあなる、ぽっぽと一緒に喜んだ。めんまが自分のことを母に思い出させたくないと言ったときには、「もっと自分のことを考えろよ」と怒り、また、もしめんまの願いが叶えばめんまは消えてしまうだろうと考えたら、涙がこぼれた。そして、この願いは直接にはじんたんに向けられたものであったが、めんまの死後とりのこされた他の人たちにも通じる問題であった。この問題は、特にゆきあつとぽっぽにおいて著しい。ゆきあつとぽっぽは、その趣こそ大いに異なるが、「普通ではない」行動をとった点では共通している。ゆきあつは自らめんまに女装し、ぽっぽは高校に行かず世界中を旅して回った。彼らの「奇行」は、めんまの死に対する己の感情を素直に表出しようとせず、どうにか別の手段で解決しようともがいた結果、引き起こされたものと考えられる。


 めんまの願いについて、もう一つ触れておくべき内容がある。最終話終盤におけるじんたんのモノローグ、先の引用箇所の後は、このように続く。

 

次第に あの香りは薄れていく

俺たちは 大人になっていく

だけど

あの花は きっとどこかに咲き続けてる

そうだ 俺たちは いつまでも

あの花の願いを 叶え続けてく

 

 「いつまでも あの花の願いを」の辺りで、映像の方は、秘密基地内の木組みに書かれた「超平和バスターズはずっとなかよし」の一句を大写しにする。これに関しては劇場版において、よりはっきりと触れられている。お焚き上げの時間を待つ間に五人がかくれんぼをする場面、秘密基地のロフトのような場所に隠れたじんたんは、「超平和バスターズはずっとなかよし」と書かれた部分を見つめながら、一緒に隠れていたあなるにこうつぶやいた。

 

「きっと、これなんだよなあ。俺のかあちゃんの頼みじゃなくて、めんまだけの、めんまのお願いってさ」

 

 めんまが死んでから疎遠になっていた五人の関係は、物語が始まった頃にはぎすぎすしていた。じんたんのところに夏休みの宿題を届けに来たあなる然り、あなるが忘れ物のノートを渡そうと追いかけてきたときのつるこの態度然り、ゆきあつのじんたんに対する苛立ちは言うまでもなかろう。そして彼らは相手をあだ名で呼びそうになると、一瞬声を詰まらせて名字で呼び直していた。ところが、めんまの願いについて模索するなかで曲がりなりにも五人の集まる機会は増えていき、やがて皆で協力して花火を作り上げ、最後にはかつてのあだ名が自然と出てくるようになった。めんまの死によって散り散りになった五人は、死んだめんまによって再び一緒になったのである。

 

 めんまの願いについて、三つを見てきた。考えてみると、これらの願いは、めんまの死を正しく受け容れて乗り越えるために必要なことであった。一つ目の「忘れないで」とは、「無理に忘れようとせず、きちんと向き合うこと」、二つ目の「泣かす」は、「心に感じたものを抑えつけないこと」、そして三つ目の「ずっとなかよし」は、「一人で苦しまず、互いの苦しみを分かち合うこと」を意味すると考えられる。これらのことを端的に表現しているのが、第十話における本間学の台詞である。彼はいう、「寂しかったな、聡志も、お前も。芽衣子を忘れられるはずなんてない。それでいいんだ。ただ、一緒に寂しいと思おう? お前と、聡志と、俺と。三人で、一緒に」と。そしてめんまの願いを必要としていたのは、無論、じんたんばかりではない。じんたんが思ったように、「あなるは自分を責め続けて、ゆきあつも、きっとつるこも、ぽっぽだって、みんな、罪悪感の中で救われずに」いたのだから。


 ここでトラウマの克服について、ある一つの場面に触れておく。物語の中ではめんまは実際に「見えて」いたが、象徴という意味では、やはり彼女はじんたんが当初考えたように《トラウマが具現化した幻想》である。このトラウマを如何にして「成仏」させるか。じんたんは目下の問題であった不登校を改善することにした。しかしこれは、トラウマの核心を突くものではない。じんたんが何より悔やんでいたのは、めんまに対して「誰がこんなブス!」と暴言を吐いて逃げ出したことだった。そうしてじんたんは、図らずも、それを「やり直す」機会を得る。花火を打ち上げる前日、六人は決起集会という名目で秘密基地に集合した。そこでゆきあつの提案から半ば強引に「あの日」を再現することになる。あなるが「じんたんってさ、めんまのこと、好き、なんでしょ?」と訊ね、ゆきあつが「言えよ」と促す。ぽっぽは「いーえ……、いーえ……」とはやし立てる真似をする。つるこは「ちょっとこんな、そこまでやるなんて」と咎めるが、皮肉にもこれは「もう、やめなよ」と言った当時をなぞっている。やがてじんたんは「好きだ。俺は、めんまが……!」とつぶやいて秘密基地を走り去ろうとするが、それをぽっぽが引き留める。「そこで逃げたら、同じことになるぞ、じんたん!」と。ここでじんたんを引き留めた意味は大きい。実際の「あの日」においては逃げるじんたんを追いかけてめんまが秘密基地を飛び出して行ったために、彼女は山中で足を滑らせて帰らぬ人となってしまった。じんたんが秘密基地から逃げないことは、めんまが死なないストーリーを演じることになる。この場面は、過去のトラウマの状況を再現し、それを演じることによって苦しみを癒そうとする、ドラマ療法を思わせる。


 さて、めんまが成仏したのは、花火を打ち上げた直後ではなく、かくれんぼで五人が見つけたときだった。この間、五人は神社に集まり、めんまが成仏しなかったことについて話し合った。次第に感情は高ぶっていき、あなる、ゆきあつ、つるこ、ぽっぽが自身の本音をぶちまけた。四人は自分のためにめんまを成仏させようとしていた。じんたんはというと、めんまが自分だけに見えることがうれしくて、「成仏なんてしなけりゃいい」と思っていた。要するに五人は、めんまのことではなく、自分のことを第一に思っていた。五人はこのエゴイズムを反省し、今度こそ本当にめんまのためにやろうと決心する。ところが、じんたんがめんまを秘密基地に連れていくと、とうとうじんたんにもめんまの姿が見えなくなる。そうしてかくれんぼが始まった。夜通し駆け回り、五人はめんまからの手紙とともに、ついにめんまを見つけた。このとき五人は、自分たちの気持ちを素直に吐き出し(「泣かす」)、「めんまの願い、ちゃんと叶えよう」と決意し(「忘れないで」)、「私たち六人で超平和バスターズなんだ」と気持ちを一つにしていた(「ずっとなかよし」)。かくしてめんまの三つの願いは叶えられた。だからこそめんまは五人に見つかり、そして彼女は成仏したのである。

 

 私はあの花の名前を探し求めた。あの花とは、めんまの願いであった。そしてめんまの願いは、現実に生きる人が深い悲しみを味わったとき、道を照らしてくれるものと思う。

一条の糸を手繰って

 そもそもは、法律の項目を数えるのになぜ「条」が用いられるのか、という疑問から始まった。それで「条」という漢字の成り立ちを調べることにした。


 まず、現在広く使われている「条」は俗字で、もとは「條」という字体であった。そして「條」という字は「攸」と「木」を組み合わせて作られている。では「攸」とは何か。これは人の背中に筋を描くように水を流して洗い清めることを表している。その筋状に流れ伝う水の様子から、「攸」は「細長い」という意味を持つようになった。そうしてこれに「木」の加わった「條」は、樹木において細長く伸びている箇所、すなわち枝を意味する。(注1)


 さて、文章は普通、内容が増えるとそのぶん細長く伸びていく。そこでひとまとまりの文章も「条」と呼ぶことができる。特に法律の文章は箇条書きで示されることから、「条」という表現が馴染むのだろう。



 ところで、法律の文章ばかりでなく、「条」は細長いものを数える単位としても用い得る。が、今は専ら「本」がその役を一手に引き受けているようにも思われる。一体、「条」と「本」には何か使い分けの基準があるのだろうか。今度はそのようなことが気になった。


 例によって辞書を引いてみる。(出典はいずれも『日本国語大辞典 第二版』)


 条……糸・帯・縄・幕・川・道など、細長いものを数えるのに用いる

 本……植物、またはこれに似た細長い棒状のものを数えるのに用いる


 これらの解説を読み比べて目に付くのは、「本」の説明にある「棒状の」という語句である。わざわざ言い添えているということは、棒状であるか否かが両者の使い分けを左右しているのではないか。


 具体的に考えてみよう。たとえば、鉛筆。これは棒状であり、「本」で数えるのが一般的であろう。そして、


「机の上に鉛筆が一本置いてある」


という文章も、やはり違和感はない。これが、


「机の上に鉛筆が一条置いてある」


になるとどうか。言わんとすることは伝わるかもしれないが、どうも不自然な感じがある。少なくとも私は、このような表現を実際に見聞きしたことはない。どうやら、「本」では数えられても、「条」では数えられないものがあるらしい。そのように考えてみると、煙突や電柱などはまさにその類のように思われる。


 とここで、今度は「条」について、糸を例に考えてみる。糸は、たとえば糸電話で用いるときのようにぴんと張っているものももちろん一条だが、ミシン糸のようにぐるぐると軸に巻きつけてあっても、途中で切れていなければやはり一条ということになる。これは、鉛筆を真ん中からへし折ったらもはや「一本の鉛筆」とは呼べないことと対照をなす。


 続けて川や道についても考えてみる。この二者も曲がりくねっていようが一続きなら一条となる。加えてこれらは、それ自体には触れることができないもの、とみなすこともできる。川の流れに手を差し入れても、直に触れているのは水である。同様に、道のどこかに立っていたとしても、足を置いているのは土や砂利である。細く差し込む光や飛行機雲も「条」で数えられるが、この二つなどは川や道以上に捉えどころがない。


 このように見ていくと、「本」はそれ自体としてはっきりとした形を持っていて、しかもその形状がまっすぐで固定的なもの、一方で「条」は形状によらず細長い一連の流れを示すもの、をそれぞれ数えるようである。「本」が棒状のものを数えるならば、「条」は〈線状〉のものを数える、と言えるかもしれない。



 そういえばと、芥川龍之介の小説に『蜘蛛の糸』という短編があるのを思い出した。そうして久しぶりに読み直してみると、このような一節が見つかった。

 

ところがある時の事でございます。何気なにげなく犍陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。(青空文庫より)

 

 「すじ」は「筋」と書くのが一般的だが、「条」とも書く。


 犍陀多は現世で蜘蛛の命を助けたことから、御釈迦様の計らいにより救いの糸を掴む。彼はそれを登って地獄を抜け出そうと張り切った。ところが、彼が自分一人だけ助かろうという態度を示した途端、糸はぷつりと切れてしまう。「条」と「本」の違いを考えた上で読むと、この危うげで頼りない糸は「すじ」と数えるのがふさわしく感じられる。


 「神は細部に宿る」という言葉を思い出す。優れた踊り手が指先まで神経を尖らせるように、優れた書き手は一語の差異にも意識が働くのだろう。

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

(注1)みそぎ(攸)に用いた枝とする説もある(白川静博士の説)

ブログのエージング

 新品のイヤホンを使うと、なんとなく音が硬くて、ぎこちなく聴こえる。それがしばらく使っていくと滑らかになって、違和感はなくなる。このような現象を、一般にエージングと呼ぶ。ただ、これは説明というより私の経験に基づく感想というべきかもしれない。エージングに対する考え方は人によって様々ある。一方では専用の音源やCDを使って”育てる”人もあれば、他方では「耳が慣れたに過ぎない」と一蹴する向きもある。一応、新品のときと比べて音の聴こえ方が変わる、という点はおおむね同意されるようである。
 
 イヤホンに限らず、自動車や機械も慣らし運転をすることで動作が安定していく。思えば人間のやることも、始めたばかりの頃は不格好でも、継続することでだんだん様になっていく。さてこのブログはというとまだ新品同様で、言葉も表現もこなれていない。イヤホンのエージング期間について、はっきりした説はないようだが、おおよそ100時間というのが一つの目安らしい。そこからこじつけて、このブログも記事を100件ほど投稿すれば、あるいは一つのスタイルを得るのだろうか。
 
 エージングで音質が良くなるかはともかく、長く使っていれば傷んでいき、やがては廃棄に至るのは避けられないことだろう。そこまで高価なものを使っていない私は、修理費とそう変わらないのならと新しい物に買い替えてしまう。しかし、ブログまで同じように扱っていいかどうか。
 
 ともあれまずは、エージングである。イヤホンにおいては、意図的なエージングにこだわると却って劣化が早まり故障の原因にもなり得るという。中立的な立場の人は、普段通りに使って音が馴染んでくるのを待てばよかろうと結論する。私も、あまり前のめりにならず、書けるときに書いていくのがいいかもしれない。

太平洋と大西洋の表記の違いについて

【まえがき】
太平洋と大西洋の「タイ」の漢字はどうして違うのか。
中学生当時通っていた塾でこのような質問が上がった。
講師は、それは将棋の王将と玉将のように区別をつけるためだというようなことを言った。
「答え」を知っていた私はそれが咄嗟の思いつきであるとわかったが、むしろ即座に似た例を引き出せる機転を羨ましく思った。
それはさておき、今回の調査は、知識の習得というよりは、論理の道筋を確かに辿っていく手習いの、初歩としての試みというのが、当初の主たる動機である。
その顛末を、以下で整理していく。


【調査の流れ】
まずは図書館の参考図書にあたることにした。
日本国語大辞典 第二版』で「太平洋」と「大西洋」それぞれの項目を探す。「太平洋」についてはすぐに語源の解説が見つかった。

 

マゼランが、最初の横断航海が平穏であったところから、平和な海(Mare Pacificum)と名づけたことによる


同辞典で「太平」を引くと

世の中がおだやかに治まっていること。世の中が静かで平和なこと。また、そのさま。


と説明されており、「太平洋」が「太平」+「洋(海)」という形で成り立っていることがわかる。

一方、「大西洋」の方は

原名のAtlantic Oceanは、古代ギリシアで世界の西端にあって天空を支えると考えられた巨人アトラスに由来する

とある。つまり、Atlantic Oceanを原意に従って訳すならば「アトラスの海」となり、「大西洋」とは直接対応していないと推察される。
ここで中学生の私が知っていた「答え」を先に書いてしまうと、大西洋は「大(大きな)」+「西洋(西の海)」という成り立ちであるから「大」なのであった。しかし、語の成り立ちをはっきり示している資料はなかなか見つけ出せなかった。

語源とは、ごく単純に言ってしまえば、もっとも古い用例である。ならば、より古い例を探していけば目的を達するのではないか。私は語意の解説の後ろに付された用例に目を通した。そこに記された最古の例の出典は『采覧異言』という書物であった。
『采覧異言』の記事を辞典から探し出す。書名は初めて見るものであったが、すべて音読みと考え「サイランイゲン」で当たりをつけたところ、的中した。これは江戸中期の儒学者・政治家である新井白石が著し正徳三年(1713)年に成立した地誌で、江戸在留の外国人への聞き取りやマテオ・リッチの「坤輿万国全図」などを参考に、世界各地の地域の特色をまとめた書物らしい。
マテオ・リッチと「坤輿万国全図」の名には覚えがある。といっても本当に名前くらいしか記憶が残っていなかったため、改めて概要を確認する。マテオ・リッチは十六、七世紀に生きたイタリア人のイエズス会宣教師で、明(現在の中国)に布教活動のため入った。彼は布教とともに西欧文化の紹介にも尽力し、その一環として1602年に北京で刊行されたのが「坤輿万国全図」という世界地図であった。この地図は中国側への配慮から地図の中心を中国としたことや地域名などが漢字によって示された点で画期的であり、日本の世界理解にも大きな影響を与えたという。
 
参考図書による時代の遡行はここで立ち往生となった。今度は「マテオ・リッチ 大西洋」というキーワードでインターネット検索をかけてみる。すると、「大西洋」の語源について、私の知る「答え」とは異なる説があるらしいとわかった。すなわち、「大」は単に「大きい(広い)」を意味するのではなく、「(距離が)遠い」という意味であるとする説である。「坤輿万国全図」では「大西洋」「小西洋」「大東洋」「小東洋」という四つの海名が中国を起点として東西、遠近を表しているという。文字で表すならば「大西洋―小西洋―中国―小東洋―大東洋」といった具合である。そして、そのような旨を述べた学術論文が以下のサイトにてPDFファイルで公開されている。
 
 
張鈴「orient、東洋(とうよう)と東方(ドンファン) ―orientという語の訳語から日中両国の自己のあり方を探る―」の2ページにおいて、マテオ・リッチが「中国語にすでにある「西洋」、「東洋」の語彙を、Oceanus Occidentalis(西の大洋)とOceanus Orientalis(東の大洋)というラテン語の訳語に使い、「小」(近い)、「大」(遠い)と組み合わせ、彼の所有する地図を中国語に翻訳した」と説明されている。
原文では「ラテン語の訳語に使い」の直後に脚注を表す数字が付されており、参考文献として陳瑋芬「自我的客体化――近代日本的「東洋」論及隠匿其中的「西洋」与「支那」」という中国語で書かれたらしい論文が挙げられている。掲載元の媒体名であろう『中国文哲研究集刊』で検索すると、こちらもPDFファイルで公開されていることがわかった。
 
 
中国語のテキストを読みこなすだけの知識は持ち合わせていないが、脚注に示されたページ番号と「大西洋」「大東洋」といった語から、参考にされたであろう箇所は察しがついた。
さて、当該箇所付近に付された脚注を見やると、日本語の書籍や論文が複数並んでいることに気づく。その脚注を参考に、椙村大彬『地理名称の表現序説』(古今書院、1978)と齋藤毅『明治のことば 東から西への架け橋』(講談社、1977)の二冊について、近所の図書館で借りることにした。
 
まず前者においては147ページから149ページにかけて「小東洋」ならびに「小西洋」にかかわる記述があり大小が距離の遠近を表すことにも言及されているが、詳しい解説は見当たらない。この本についてはこれ以上立ち入らないことにした。
 
つづいて後者を読む。「第二章 東洋と西洋」で、まさに求めていたことが述べられていた。少々長くなるが以下に引用する。尚、引用文冒頭の「彼」はマテオ・リッチのことを指す。また、原文において傍点の付されている箇所には下線を施した。
 
 彼が、アトランティス海を「大西洋」と称えたのは、ポルトガル海の古名であったOceanus Occidentalisから無意識の影響を受けたとも考えられるが、あくまでも、それの直訳とみるべきではなく、むしろ、中国人が古くから抱いていた「西洋」という概念の拡大によってつくりだしたものとみるべきであろう(注八)。後世のものではあるが、『辞源』は、「泰西」の語釈として、マテオ・リッチとの関連を、つぎのように述べている。
 
泰西。歐洲各國を指していう。按ずるに、我國(筆者注=中国)向來、玉門以西をもって西域といい、南海以西をもって西洋という。これ中亞細亞および印度洋一帶の地に過ぎず。歐洲諸國のごときは、さらにこの諸地の西に在り。故に明のとき利瑪竇來朝し、みずから大西洋人と稱し、もって當時のいわゆる西洋(すなわち印度洋一帯)と別つ。士大夫よって歐洲を稱して泰西と爲し、その極西の處たるを明らかにするなり。(原漢文)
 
 マテオ・リッチが、みずから「大西洋人」と称したとき、その「大」が何を意味したかは、右の解釈で明白である。漢語では、「大」は「太」または「泰」に通じ、極・遠・甚を意味することばである。明代の中国人が、インド洋およびその一帯の地(ペルシア湾沿岸)を称して「西洋」とよんだとき、ヨーロッパをどう呼べばよかったか。マテオ・リッチは、それがインド洋やペルシア湾沿岸よりはさらに遠くの西洋であるところから、これを遠西・極西・泰西であるとなし、「大西洋」とよび、これと区別するために、従来からの西洋――つまり印度・ペルシア沿岸――のほうは、近くの西洋という意味で、「小西洋」と名づけたのであろう。そして、アトランティス海を、中国人の理解に近づけるために、中国流にこれを、「大西洋」と命名したのである。ほん訳というよりは、別名を与えたのである。(p.52-53)
 
また、森島中良『紅毛雑話』中の記述に対して次のように指摘する。
 
(注十三)「此海を過ては、針路を西南の間に取り、伊斯巴儞亜海に出づ、其海上に在るところ、西をヲセアーノスヲクシデンターリスといふ、訳して大西洋といふ」とある。この「大西洋」は、中国流の呼称というよりは、ラテン語からの直訳のようにみえるが、もしそうだとすれば単純に「西洋」または「西海」と訳すべきであって、「西洋」とある以上、やはりマテオ・リッチ流の中国訳とみるべきであろう。(p.70)
 
大西洋の語源については、上記の説を一応の結論とすることにした。雑学を紹介するWEBページなどではOceanus Occidentalisを訳したものとも「泰西(ヨーロッパを指す語)」+「洋(海)」の合成であるとも説明されているが、『明治のことば』の解説はそれら諸説をまとめあげている点で有力であると感じた。
 
 
【あとがき】
『明治のことば』にはこのようなことも書かれている。
 
そして、今日のわれわれの感触からいえば、「大西洋」というのは、極西の海洋でもなければ遠西の海洋でもなく、たんに大きい西方の海洋といった意味にしか受けとられなくなっている。(p.66)
 
今回調べてみるまで、たしかに私も「大きい西方の海洋」という理解を疑うことはなかった。その「もっともらしい説明」とは異なる解釈がひらけたことは、今回の調査の大きな成果と言える。
一方、大西洋の調査に多くの時間を割いたことでアンバランスな内容になってしまったことは否めない。だが、調査を開始してから既に結構な月日が経っておりこれ以上深入りするのは避けたいということ、太平洋と大西洋の語源について両者とも一応の典拠を見いだせたことなどを勘案し、上記の調査結果までで切り上げることにした。
ちなみに、太平洋の語源について「マテオ・リッチが漢訳した」と説明する辞典もあるが、彼は「坤輿万国全図」においてMare Pacificumに相当する海名として「寧海」の語を用いている。いずれにせよ太平洋という言葉がマゼランの世界周航に由来することはほぼ間違いないようであるから、これ以上は立ち入らない。
 
調査の経緯について。足踏みの状態に陥ってからブレイクスルーに至るまで手間取ることが多かった。また参考図書にこだわるあまり、個別の資料になかなか辿り着けなかった。参考図書で一通りキーワードを拾ったらインターネットで検索し、そこで得た情報から新たな資料を参照する、というサイクルをこまめに回すよう意識していれば、もう少し調査時間を短縮できたかもしれない。
今一つにはキーワードの選択も重要である。今回であれば「東洋と西洋」という観点に気づいていれば、大西洋の調査はずっと早く進んだことだろう。その代わり「マテオ・リッチ 大西洋」という検索ワードの設定が転換点となった。「大西洋 由来」「大西洋 語源」といったストレートな組み合わせからは、小西洋などに言及したWEBページには至らなかった。
調査の中で、マテオ・リッチがその世界図を描くにあたって参照したというオルテリウスの「世界の舞台」などについても調べてみたが、その過程は調査の目的に対しては不毛であった。ただ、インターネット上で古地図を閲覧できるサイトが存外多くあると知ることができたのは、ともすれば収穫なのかもしれない。ちなみに、「坤輿万国全図」に関しては以下のデータベースで閲覧できる。
 

InfoLib

東北大学デジタルコレクション。狩野文庫データベース>カテゴリ>クリッカブル・マップ>坤輿萬國全圖>サイトリンク)

京都大学電子図書館

(貴重資料画像>天文学・数学・図面・地図>京都大学附属図書館所蔵古地図コレクション>坤輿萬國全図)